ロイヤルブルー・スピカ

スピカへ向かう箱舟

旧奈良刑務所に行ってきました

わーん、どんどん時間が過ぎていく……!

 

旧奈良刑務所の門

 

 

これも10月の事なのでもうそこそこ時間経っちゃってるんですが、旧奈良刑務所の元刑務官さんの解説つきツアーに行って来ました。あいにくの雨模様。

 

 



共同室(複数の受刑者が生活する部屋)



 

 

 

うまく言葉になりませんが、建築としての素晴らしさはもちろんの事、刑務所という場所、罪を償うという事、生きるという事、人の未来を信じるという事など、いろんな事を考えさせられました。

 

人生観のようなものが変わる方もおられたかもしれませんね。そのくらい圧倒される場所でした。

 

 

 

『その国の人権意識は刑務所の環境を見ればわかる』という言葉があるそうです。

 

 

旧奈良刑務所(監獄)が出来たのは明治時代ですが、発端は安政五か国条約の締結だったそうです。江戸幕府アメリカなど5か国と結んだ条約で、その内容は不平等なものでした。その不平等さの一因は『日本はとても野蛮で遅れた国である』という認識が当時の他国において根強く、軽んじられたからだと言われています。

 

当時の日本における人権意識は当然ながら今とは全く違っていました。(当時の常識や価値観を現代の価値観ではかってどうこう言う事に意味はありませんが、それはそれとして)

 

例えば旧奈良監獄よりも前、奉行所の時代だと、罪を犯した人が入れられる牢屋はとても狭いものでした。

 

実際の展示も拝見しましたが、木の格子で四方と天井を囲まれた牢屋がほぼ野ざらし、広さも三角座りで座れば大人5人くらいはなんとかギリギリ座れるかな、ぐらい。

そんな所に多いときは10人以上を閉じ込めていたそうですから、その話だけでもどれだけ劣悪なものだったか想像つきますね。

罪人達は寝る事すらままならない状態だったのではないかと思います。

息をするのもしんどかっただろうな……。

 

 

 

鎖国が終わり、これから国際社会に日本という国の存在感を示していこうとする流れの中で、他国のそうした認識を塗り替えていく事は急務であり、手始めとして行われたのが刑務所の環境改善でした。

 

野蛮人の国などと馬鹿に出来ないぐらいに近代化したらァー!と奮起したわけですね。

 

そうして出来たのが旧奈良監獄などの監獄であったと。

 

 

 

元刑務官さんが仰っておられましたが、刑務所の役割は自分が犯した罪としっかり向き合う場を与える事と、社会復帰した時に居場所を自分でつくる力をつけさせる事だと。

 

今の日本における犯罪者の再犯率は大体30%程度です。(目標は20%以下との事)

再犯で刑務所に服役する人には自分で居場所が作れず、社会や環境などに追い詰められて出戻ってしまう人も多いのだそうです。

 

逆に根っからの100%の悪人で、犯罪行為をせずには生きられないというような人は殆どおらず、普通に育っていれば誰でも持ちうるような常識や知識を知らなかったり、ルールを守るという習慣自体がない事が刑に服する事になった根本的な原因という人も一定数いる。(一時期ネットで話題になった『ケーキの切れない非行少年たち』のような事も)

 

刑務所での生活には厳しくて細かいルールがあるそうです。

例えばお風呂は2日に1回で、当然制限時間があり、使っていいお湯の量も決まっています。(ひとりにつき1回の入浴で桶15杯までっておっしゃってたかな。もちろん何十人もが一斉に入浴するため全員きちんと目配りをして数える事は出来ないので、今日はこの人と決めて数えて規定を越えていたら注意をするという形だったそうですが)

 

税金で運営されている以上無駄遣いは出来ないので、そういった節約しやすい所から節約をする事が目的のうちのひとつですが、もうひとつは厳しく細かいルールを課す事によってルールを守るという事自体を習慣づけるという意味合いがあるとの事でした。

 

刑務所はただ犯罪者に対して罰を与える場所ではなく、社会の中で少しでも生きやすくなるように教育をする場でもあるのだと。

 

 

もちろん犯罪者=加害者がいるという事は、被害者がいるという事でもあり、そこは無視してはいけない事だと思います。被害者救済も大事な事ですし、セカンドレイプのような事が起きない社会にする事、犯罪が起きた時に犯罪被害者にも非があったと言って被害者の口をふさぐような風潮も終わらせていくべきものだと思います。

 

しかしそれと同時に加害側が加害するに至る根本原因を解決して、犯罪を犯さずとも生きていける社会にしていく事も大事。そもそも犯罪を犯さずとも生きられるようになれば犯罪は起きないし、起こす必要はないはずで。

もちろんこれはただの理想論で、実際は口で言うほど簡単な話ではないですし、スピリチュアル的な考えでいけば、相手や自分のカルマとか色んな事が複雑に絡み合った上で起きた事だと言えるので、そういう意味でも単純な話ではないなと思いつつこれを書いていますが……。

 

 

 

自分はそちら側には行かないというある種の根拠のない自信というかそんな感覚はみんなもってるものだと思いますが、実際は紙一重だなと思います。

 

ただ運や環境が良かっただけだったり、ただ単に今までの人生でそういった手段を取らずに済んでいるだけで、そうであり続けようとする事は可能だと思いますが、これからも本当にそうであり続けられるかどうかは実際その時になってみないとわからない事かもしれません。

息をするのがやっとで、犯罪を犯すパワーすら持ち得ないほど現実や人に痛めつけられてどん底にいただけというケースももちろんあるし、色々な事情や背景がありますよね。それを運が良かったなどと軽々しく表現していいのかどうか一考すべきケースももちろんあるし。

 

目の前にいる人は自分である、という考えもスピリチュアルの世界を学ぶ上で大事な考え方のひとつです。そういった意味も含め、彼らと自分に何も違いはないのだと思います。

 

 

 

 

案内の方がおられないと入れない場所も入れるツアーだったので、るろうに剣心などの映画やドラマで撮影に使われた場所も見学出来ました。めちゃ楽しかった。

るろうにの映画の中で使われていた鉄格子が、実は鉄に見えるように上手く塗料などで鉄に見えるように作っていただけで材質は木材だったという話を伺って、実物も見ましたが場所が暗かった事もあって至近距離で見ないと木材だとはわからなくて、美術さんの技量って凄いなと思いました。

 

10月末以降はもう星野リゾートのお客さんとして行くしかないっぽいですが、資料館や残せる部分は残した上での営業になる予定だそうなので、もしご興味があればぜひ。