気が付いたら今日節分だったよ!(;'∀')
ブログに告知書くの遅くなりましたが先日予告していた通り、新LOVING ピュアリスペクトとトゥルーエッセンスのご提供を開始しております。
実は先週半ばくらいから。
サイトの方はすでにご案内ページ出してたんですが、ブログ更新が遅れました。やー長くなる長くなる。文章がどんどんながくなーーーる(なんなんだ)。
会社での仕事の合間に書いてるものでブログはなかなか時間がかかります。そして無駄に長く、そしてどうでもいい事をつらつら書く癖があるのでなっかなか書き終わらない・笑。
はい、という事で、まずピュアリスペクトですね。
こちらがどういったLOVINGかをめちゃくちゃ簡単に説明しますと、ピュアリスペクトは子供の頃に親から受けた傷や圧力によって失われてしまった尊厳や創造的に生きる力を取り戻すLOVINGです。
元々子供というのは独自的な創造力であるとか、自由に生きる力というものを持って生まれて来ていますが、親からひどく傷つけられたり、理不尽な思いをさせられたりすると他でもない親自身によって根元からごっそりその力を奪われてしまいます。
子供にとって親というのは、生まれたばかりの自分がとにかくまず行きつく先でもあります。『なりたいかどうかではなく、なるもの』という感じですね。選択肢があって自ら選ぶというよりはただそれしかない時期がまずあるという感じ。
ある程度分別がついてきたり、成長して色んな人と接して色んな事が見えて来た時にやっと『みんなこんなもんだと思ってたけど、もしかしてあれってウチだけだったのかな…?』と疑問に思い始めたり、自分で考えて自分で行動できる範囲が増えてやっと『同じようになりたいかどうか』の選択肢が目の前に現れる事が多いと思います。それが思春期などの親に対する反抗であるとか、反発という形で表れてくるのかなと。
そのころにはもう自分のベースとして細胞レベルにまで親からの植え付けがしみ込んでいて、切り離すことが出来なくなってきて、一体なにがおかしくて、逆に何がおかしくないのか、基準が根元から崩壊してしまう事もあります。
また、親から受ける傷は、自分の無防備で柔らかい場所に深く深くついてしまうものですよね。
つい最近気が付いたり思い出したりしたんですが、私、母に軽く拒絶されてた部分があって。
あくまで軽くね。軽く。
母から表立って何かされたとか、誰も見てない所で何かされたとかそういうんじゃないし、母は表向き的にも家庭内的にも、明るくて活発で真面目で常識的な日本の良妻賢母を絵にかいたような人です。
私に対しても基本的にはそうだったので、ただ単に『そういう一面もなかったとは言えない』というレベルの話ですけどね。だからこそ気が付いたのは最近だったとも言えますが。
私がこうした方がいいとか、こうしたいと提案した事はノーと言われる事が多かったですし、ノーと言わないまでもその場ではむすっと黙り込んで返事をしない、なのに後々になって他の人の前で小馬鹿にしながら全部否定されたりとか。
服装などにしても私が気に入っているものについて嫌味を言われたり、否定されることもあったり。
プレゼントの類も基本あんまり喜んで貰った覚えがないし、使って貰ってる所を見た事は殆どないままの物も多い。それが高い物でも安い物でも、消耗品でもなんでも。ありがとうって言って受け取ってはくれるんだけど、その後は見ない事が多かったです。
確かに純粋なセンスや好みという点では母と私は全然違うんですよね。だから好みじゃなかったんなら仕方ない事だし、プレゼントについてはもったいなくて使えなかったんだったらまだいいんだけど、どうもそんな感じにも見えなかったし。
どちらにしても子供にとっちゃ地味にショックですよね。しゃーないっちゃしゃーないんだけど。
当時はショックを受けつつも『母には母の考えや好みがあるし、本人が嬉しくないもの貰っても仕方ないよね。そういう物をあげてしまった方が悪い…』くらいに思ってたんですが、今になってちょっと『あれ?』と思ったという感じです。
このへんも原因の1つだったのかもしれませんが、昔は人にプレゼントやおみやげを買うのがすごく苦手でした。
私は察しが悪くてセンスが悪いから、長年一緒に暮らしている母親の喜ぶものすらわからない。家族でないならなおさら喜ぶものなど選べないに違いないから、自分のセンスで選んだものを渡すと絶対嫌われると思ってたんですよね。
もらうのも苦手だったなあ。
こんな素敵なものもらったけど、もらった以上は同じものかそれ以上のものを返さないといけないし、私のセンスではこれと同じくらい素敵なものなんて絶対に返せない、どうしよう、みたいな。
今は得意かと言われたらわからないけど、最近は多少センスも磨かれて来た……と思いたい(;'∀')……し、嫌われるかもとビクビクしながら用意するって事もなくなって、わりと楽しく選ばせて頂いていることが多いです。
たまに選ぶの楽しすぎて、お土産通り越して何か裏に意図があって貢いでるのかみたいなレベルでごっそり持っていく事もあるくらいですからね…笑。
これはこれで相手さんの負担になってやしないかと思う事もありますが、まあそこまでやるのは大抵ちゃんとわかって下さる方や、日頃から返しきれない恩がある方に対してだけですけどね。
あと母へのプレゼントや土産を基本喜んでもらえない、という事については、わりとごく最近ですが今は喜んで貰える事が増えましたし、自分のセンスを否定される事もほぼなくなりました。(おそらくこれはフリーダムディスティニーNEOの影響だと思います)
他にも母については細かいのも挙げたら色々あるけど、まあそれはいいとして。
(私本人がそれらをどう感じているかは別として、客観的に見て)
私はこのレベルで済んでいると言えますが、それこそ話を聞いただけの第三者が、大変でしたね、つらかったですね、なんて慰めや労りの言葉すら簡単に口に出来ないほどひどい話はいくらでもあります。 子供を愛さない親なんていない……なんてただ綺麗なだけの言葉には全く同意できないようなおぞましい話もいっぱいあります。
そしてその痛みはなかなか消えない。
普段は忘れていても、ふとした時にその時の痛みがよみがえる事だってよくあります。
当然、子供の頃はわからなかった事や、大人になった今であればこういう事情があったんだと後々わかる事もあります。
それでも何年経っても癒せない傷はある。
傷をつけた親を赦せない自分や、何年も何十年も前の事を未だに痛がってる弱い自分がいる。
本当にシャレにならない虐待のようなものを受けながら育った人に比べれば私のなんて軽いものだから…みたいな意味のない比較とかがどうしても先に来ちゃって、自分の中のモヤモヤが外に出せないまま長い間過ごしてしまったりとかも中にはあります。
そういう色んなものがないまぜになってしまって、最終的にはその傷をいつまで経っても癒せない自分を責めてしまう事もある。
程度の差はもちろんあります。でもその痛みがどれだけ自分にとって痛かったか、今でもどれだけ痛いか、どれだけ今の自分に影響しているかって事には関係ない事です。
その痛みを真に理解して受け止められるのは自分しかいません。
ヒーラーの場合はリーディングでその痛みをビジョンなどを介して体験する事もありますが、それが100%ご本人と同じ痛みかどうかもやはりわからない。他者はその痛みの壮絶さを想像する事は出来るけれどやはり想像にしか過ぎない事です。
だから他に比べて程度がどうとかそんなのはどうでもいい事です。痛いもんは痛い。それでいいんです。主観を比べたってどうにもならない。
親から受けたものというのは、その人の人生の在り方に強く影響を及ぼします。ああはなるまい、と同じ振る舞いをしてしまいかねない自分自身に怯えるように日々を過ごしている人もたくさんおられます。
親によって植え付けられたものというのはなかなか抜けません。呼吸と同じレベルで無意識の部分の事だから、どんなに親が嫌いで憎んでいても自覚がないまま親と同じ事をしてしまっていた…なんてこともあって、それに気づいた瞬間のショックたるや凄まじい。
そうなるとまた自分を責めてしまったりするわけです。やはり私はそういう事をしてしまう人間なんだと。
この状態から抜け出すには、まず自分に傷をつけた親を赦し、そして傷つけられた被害者という立場から脱却していく必要があります。
が。
まあ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~、無理よ。
よくスピ系のブログとか行くとね(一応ここもスピ系なんだけどなんでこんなにもよそ様とテイストが違うんだろうか)、赦すって事について書いてる方も多いけど、そりゃ1ミリたりとも出来ないわけじゃないにしても、100パーセント本当に、真の意味で赦すってなかなかに大変やん?
まあ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~、無理よ。(2回目)
まあそりゃブログではそう書くしかないっていうのも確かにありますからね、ヒーラーさん達がスナック感覚で無責任に赦せ赦せ言うてるわけじゃない事もわかった上で書いてます。どうしてそうなるかも同業者として私なりに理解しているつもりです。
でも今まさに赦せず苦しんでいる方からすれば、自分が出来たからって他人も同じように出来るわけではない!簡単に言いやがって!私の苦しみなんかわからないくせに!とお怒りになる方もおられる…。どこにどう配慮してもそういう方は一定数おられる。
ブログ記事1回だけでそのへん全部伝えるってのが無理だし、受け止める側がどれだけ覚醒に向かってるかによってもどのくらい伝わるか(受け止められるか)が全く違ってくるから、重要度が非常に高く、かつデリケートで扱いが難しくて重いものだからこそ、一周まわって逆にライトな書き方にならざるを得ないというか。
どうしてもそういう書き方になっちゃう場合も多いです。なのである程度はしゃーないです。わかります。難しい。
まあそれはおいといて。
なんで無理かと言うとですね、赦すべき対象たる親から、尊厳ってもんが奪われたままだからです。
当然持ってるべき尊厳というものを自分に戻すには、通常であれば奪った親から戻して貰うしかないんですが、まあ無理ですよね。
言うて返してくれるような親なら最初から奪ってねえわ…という話です。
親を恨んでいるという状態は、言い方を変えると
『私から奪った尊厳を私に返せ!!!!!!!!!!!!!!!』
と言っている状態な訳です。
親から尊厳を奪われた状態というのは、親から植え付けられた枠組みや制限などから外れた生き方が出来ません。
大人になるにつれて自力で取り戻せる部分ももちろんありますが、100%自分で取り戻すというのは非常に困難です。
本来人間は1パーセントたりとも何にもとらわれる事なく自由な人生を自分で選択して歩める生き物です。それが魂の本質で生きるという事です。
でもそうやってつけられた枠組みなどから外れる事が出来ない状態が1パーセントでも残っているという事は、魂の本質に従った自由な人生を生きられていないという事でもあります。
自由な人生を生きられないという状態は、さらに尊厳を奪っていきます。
自由な人生を生きるためには尊厳が必要で、尊厳を失わずに生きていくためには自由な人生を生きる必要がある。
無限ループしてますね。
親の価値観などで作られた檻の中から出て自由に生きるには、その檻から出るための鍵が必要。でもその鍵は親が持って行ってしまってる。
鍵の原材料は尊厳。
そしてその尊厳は本来親から与えられるものだから、鍵を自分で作って檻から出て行く事が出来ない……という感じ。
そして尊厳を奪った親は今さら返してなどくれないわけで。
というか、子供から尊厳を奪ってしまった自覚すらない場合が大半なわけで。
詰んでるやん。
どないせえいうねんという感じですね。
この状態を解消するにはどうしたらいいか。
LOVING開発者の平野あや先生は考えました。
返して貰えないなら、エネルギーで別に伝授しちゃえばいいじゃん。
尊厳そのものを。
そうして生まれたのがピュアリスペクトという訳です。
ピュアリスペクトによって尊厳が自分の手元に戻って来ると、
『コラーーーーー親ーーーーー!!!
私から奪った尊厳を返…………(゚Д゚#)
ん?あれ?
私尊厳持ってるやん。
ほんならええわ。
わたし忙しいねん。さっさと檻から出て次の事しよ。人生短いねん』
(ガチャッ(尊厳から作った鍵で檻をあけて出て行く音
という感じで自分独自の人生を歩む第一歩が踏み出せるようになります。
1回受けて頂くだけでもだいぶ楽になります。2回でほぼ万全という感じです。多くの方に必要なLOVINGではないかなと思っておりますので、お値段もお手頃ですし、ご興味のある方ぜひお申し込み下さい。
WEBサイトのご紹介ページはこちらです。
ちょっと文章長くなってしまったので、トゥルーエッセンスの紹介はまた次回にしますね。
あとフリーダムディスティニーさんで開催してる一斉LOVINGのご案内も今後、私の出来る範囲になりますが、少ししていく予定でいます。今やってるものは今日が締め切りだったので間に合いませんでしたが(;'∀') 次回以降、私の出来る範囲でそちらのご紹介も軽くしていけたらと思います。