ロイヤルブルー・スピカ

スピカへ向かう箱舟

LOVINGスピリットプロミス 提供開始しました

LOVINGスピリットプロミスのご提供を開始しましたのでご紹介です。

 

LOVINGスピリットプロミスは、過去に抱いた感情が長く心のなかで渦巻いていてそれに振り回されがちな方や、人生においていつも同じパターンで嫌な思いをする事が多い方におすすめのワークです。

 

 

私はいつも人に裏切られる。

私はいつも貧乏くじを引かされる。

私はいつも人からないがしろにされる。

私はいつも人から騙されて食い物にされる。

私はいつも被害者だ。

私はいつも人から『お前のせいだ!』と加害者扱いされてしまう。

私はいつも人のせいで自分の夢や望みの実現を阻まれる。

 

 

もういやだと思っていても、なかなかそこから抜け出せない。

 

 

その時に感じた恨み、怒り、悔しさ、悲しみ。

 

もうこの感情を手放したい、同じ目に遭いたくないと思っているのに、こびりついたように自分を苛み、その度に振り回され、溜息をつきながらその都度対処して、終わったと思ったら今度は人や状況を変えてまた同じ事が繰り返されてしまって、『あぁまたこれか…』と絶望すら覚えてしまう。

 

 

 

 

自分の若いころの恥ずかしい話をします。

簡単に言うと、『人は鏡』という話です。

 

 

実は、若くして結婚するのが夢だったんです。

小学生ぐらいからずっと、私の夢の1つでした。

 

自分には似合わない夢だと思っていたので、人に明かした事は今までないのですが、子供の頃にクラスで流行っていた少女小説に強く憧れていた事もあり、遅くても20代半ばまでには!と思ってました。…結果については語らないでおきます(;'∀')

でも選ぶのは、収入面であったり、相手が持っていた夢であったり、事情があったりで、すんなりとは結婚出来ない男性ばかりでした。不倫や不貞などはお互いになかったとは思いますが(私はともかく相手については多分としか言えません・笑)。



付き合い始める前は良い人に出会えた、付き合ったら今度こそ結婚するんじゃないかな、と毎回思うんですけどねえ…。でも付き合い始めると、出るわ出るわ、結婚を遠ざける事情の数々…。

 

それなりの期間お付き合いしていても結婚の話題が全く出なかったり、話題にのぼってもなんだか夢物語のようなふわふわとした現実感のない話だったりして、現実は全く結婚に近づかず、結婚の障害として挙がっていた事柄もほとんどが手つかずで進展がないまま、いつかは結婚に繋がるはずと期待して、別れられずにずるずると年数だけが過ぎていきました。 

 

大概友達に話すと『早く別れたほうがいい』って言われるんですよね。言われる度に私自身も『私も友達の立場だったら絶対にそう言う』と他人事のように思いつつ、『でもね』と。あんまりにも別れろ別れろ言われるものだから、最終的にこちらも相談や愚痴が言いにくくなっていったり。

ありていに言えば男の人を見る目というものが全くなかったんですが、私本人は当時はそんな人を選んでたつもりなんて、当然ながら全くありませんでした。 

でも今思うとやっぱりそういう人を自分で引き寄せて選んでしまっていたんでしょう。相手を変え、状況を変え、同じ事の繰り返しをしていました。原因としては自己肯定感の低さとか、いろんなものが絡んでの事だったと思います。

その事に気が付くまで、ずっと思ってました。

​『私が結婚できないのは私のせいじゃない。相手に事情があったりで、今は相手に本気で結婚する気がないからだ』

まさに、『私はいつも、人のせいで自分の夢や望みの実現を阻まれる』という状態でした。

 

 

でも実際は違いました。相手の事情のせいじゃなかった。

それにはっきり気が付いたのは、かつてお付き合いしていた方から言われた、ある一言がきっかけでした。

『僕が夢をかなえるためのモチベーションが保てなくなって、こうして何年もくすぶっているのは、君のせいだ』

彼には私と出会う何年も前から持ち続けている夢があり、付き合う前からそれは知っていました。

 

付き合ってからは私自身は応援のスタンスを取りつつ、向こうから要望があれば手伝ったり意見を出したりはしたものの、基本的には見守る事に徹していました。

付き合い始めて最初の頃は、夢に向かって色々と行動している姿が見られたのですが、しばらくするとそれもパッタリなくなり、進捗を聞いても出来ない理由を延々言い訳をされたりはぐらかされたりして、最後には不機嫌になるだけ。

最後のセリフは大体いつも『だからしょうがないんだ』『今はその時じゃない事ぐらい、いちいち言わなくても僕の事をちゃんと見ていればわかるだろう』といった感じでした。わからんて。

そうしてだんだんと進捗を伺う事すらも出来なくなっていきました。

 

君のせいだと言われた時、最初は何を言われているのか全く分かりませんでした。

相手の夢の実現に私は一切関係がないはずなのに、彼は何故かそれが私のせいだとはっきりと断言しました。

 

なぜ私のせいだと思うのかも聞きましたが、私にとっては意味不明で、何年も一緒にいたはずなのに、まるで常識が違う世界の人にその時初めて出会ったかのような気分でした。

例え結婚を意識して付き合っている人であっても、夢はその人のものです。ご縁で結ばれた関係ですから、自分の夢と相手の夢が重なる事はあるかもしれませんが、それはそれとして、自分の夢と相手の夢は別のものだと思います。

 

もちろん状況が進む事によって二人の関係性などに少なくない影響は出るかもしれません。結婚していれば生活そのものや自分の人生とも直結していきますし、そういう訳にもいかなかったかもしれません。

でもまだ夢の段階としても関係性の段階としてもそれ以前の状態なのに、彼の夢に口出しをするなんて、私としてはありえない事でした。

でも彼の中では、彼の夢がかなわないのは私のせいだったんです。

 

そこでやっと気がつきました。

『人は鏡』って、こういう意味だったんだと。

彼だけじゃない。私も同じでした。

私も、自分が結婚できない事を、ずっと相手のせいにしてきました。

『相手のせいで自分の望みが叶わない』『自分は悪くない、悪いのは相手のほう』とずっと思い続けて、いつまでも状況を改善しようとしない相手に内心で腹を立てていました。

 

 

現実としての事情や主張の正当性、根本的な原因などはともかく、『自分の望みが叶わないのは相手のせいだ。自分のせいじゃない。だからどうしようもない。仕方がない』と思っていたという点では、彼も私も全く同じだったんです。

私達の関係に関してだけじゃなく、私自身​、そして私の知る限りの彼から聞いた彼のそれまで人生も、自分に非のない事で自分が思うように生きられなくなったり、損をしたりする事が多かった。

それらも、全て 『他人のせい』 『だから仕方がない』 『自分は悪くない』という意識でした。

私も彼も、自分の人生を自分の意思で生きるという事を放棄して、他人にそれらを委ねていたわけです。

 

『(私のせいじゃないんだから)貴方がどうにかしなさいよ(貴方の責任でしょ)』

『(僕のせいじゃないんだから)君がどうにかしろよ(君の責任でしょ)』、と。

 

お互いがお互いに相手に自分の人生の責任を委ねたまま、自分の願いを叶えようとしてた事に気づいた時、愕然としました。

自分の望みが叶うかどうか、その可能性の何パーセントかを他人に委ねているという事は、その分だけ願いを不確定なものにしてしまっているという事。つまり自分の願いを叶えられる可能性を自分で下げてしまっているという事でもあります。

何故かいつもすんなり結婚出来ない事情がある相手とばかり付き合ってしまっていたのは、『相手のせいで自分の望み(結婚)が叶わない』『だから仕方がない』と言い訳出来る状況を無意識に作って、自分の望みが叶う可能性を自ら大幅に下げていたんだと。

エネルギーの世界は、事象や世界が先にあるのではなく、エネルギーや思考が先にあります。

 

現実がこうだから、現実と言うのはこういうものなのだと自分は定義づけた……のではなく、『自分にとって現実とはこういうもの』という、自分の中での定義づけが先にあり、その通りであるように現実側が定義に寄っていくように出来ています。逆なんですね。

その定義づけは今生の体験から由来する場合もあれば、過去生から由来する場合など、色々あります。

 

​​

つまり、私自身が『相手のせいで自分の望みが叶わないと言い訳出来る世界』で生きるために、相手のせいに出来る事情を持っている人ばかり自分で引き寄せて付き合っていた、という事です。

​​

私は自分の願いを叶えたい。結婚だけじゃない、全ての自分の望みを叶えたい。

同じようなパターンを繰り返して時間ばかりを無駄にするのはもう嫌だ。

全部人のせいにして、自分の人生を生きられない事を嘆いて、ただ老いて死ぬだけなんて、絶対に嫌だ。

私は二度と誰かの被害者になりたくない。

私は二度と誰かから加害者扱いされたくない。

 

私は自分の人生を、自分が思うままに生きたい。

心底そう思った時にスピリチュアルの世界やその考え方に出会いました。

おかげさまで、私のその後の人生は大きく変わり、今ではヒーラーとして、かつての自分と同じように苦しんだり、生きづらさを感じておられる方が少しでも生きやすくなるお手伝いをさせて頂くまでになりました。

 

ちなみに件の男性とはとっくに縁は切れております。

パートナーシップについてはまだまだ課題が多そうです…。

 

 

 

エネルギーの観点から見た世界って本当に不思議というか、普通に考えたら『そんな理屈あるぅ?!』みたいな事の連続ですね、本当に。

 

だからこそ面白いとも思いますし、でも一般の方から見たらそれこそが理解しにくい所なんだろうなというのもわかるというか、なんとも難しい所です。

 

 

 

人生において嫌なパターンから抜け出す方法の1つとしてよく言われるのが、『その時に感じた感情を100%感じ切って、もう不要だ!!と心の底から思う事』なんですが、これが実は自力だとなかなか100%にまで到達出来ない事が多いです。

 

自分ではもう十分感じ切った、これ以上は要らないと心の底から思っているはずなのに、エネルギーで視ると実は半分どころか20%、よくて30%~40%くらいしか感じ切れておらず、未消化のままになっている事が実は多いのです。

 

 

スピリットプロミスは、自力だけでは終わらせにくい未消化の感情を終わらせていく事で嫌なパターンから抜け出すお手伝いをし、また『もう二度とあんな思いはしない!』としっかりコミットして頂く事をサポートするLOVINGです。

 

施術前にお話を伺い、その出来事の根本にある感情や思いを一緒に探し出していく事もお手伝いしていきますので、まだ整理がついておらず上手く言葉に出来ない状態の方でも安心してお受けいただけます。

 

その名の通り、ご自身のスピリットに対して『自分を大事にするために、もう二度と、自分自身に対してそんな思いをさせない』、『もう二度と、自分自身がそんな状況に陥る事を許さない。許容しない』と強く強く誓って、嫌なパターンから抜け出していきましょう。

 

 

 

詳細は以下からどうぞ。

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この2・3か月ほど、全然大した事じゃないんですが、ちょっとした個人的目標を持って会社のほうの仕事をこなしていたら、そのための準備の段階で、会社組織としての情報やら環境やらがだいぶ古いままになっていた部分がいくつか判明して、まずはそこをアップデートしようとしたら、思っていたより少しばかりおおごとになり、気が付いたら20年近く前の出来事までさかのぼる羽目になりました(;'∀') ヒェ…

とはいえ結果としてはベストの所におさまって、目標はようやく達成できるかなという感じになりましたし、それもようやく落ち着き始めました。やっと今月末くらいからその個人的目標達成の本筋に入れるかなー。入れるといいなーという感じです。

お金とか契約とか環境とか組織とかに関係する事は何年かごとにちゃんと見直さないとだめだな。その時は覚えてるから大丈夫ーとか思うんですが、数年経つと忘れますし当事者と連絡つかなくなってたりしますからね。記録大事。

 

 

シン・エヴァンゲリオン劇場版を見て来ました。

前日に序・破・Qを続けて見直してから行ったんですが、どんな感じだったか全然覚えてなかったので(;'∀')正解といえば正解でした。それでもわからん事だらけでしたけども…。

テレビ版の放映時は自分も主人公のシンジ達と同じくらいの年齢だった事もあり、当時は『なんかよくわからん終わりやったけど面白かった』くらいの感じでした。(しかも当時うちの地域はケーブルテレビに加入していないとテレビ大阪が見られなかったので、リアルタイムで見れていた友達が少なく、友達同士でエヴァについて語る機会がほぼなくてちょっとさみしかったです)

大人になってから考察を読んだり設定を知ったりしてから改めてテレビ版と旧劇場版をDVDを借りて見たクチで、そこから新劇場版が今回でラストという事で、なんだか感慨深いです。25年…25年かあ……(´_ゝ`)

欲を言えば、配信のみとかOVAとかでもいいから、破とQの間をちゃんとアニメにして頂けたら嬉しいけど…主人公不在になっちゃうからダメかなー。主人公不在の番外編って事で出せないのかなー。

エヴァの世界って魂と肉体はあってもスピリットの概念はないっぽいんですが、スピリチュアル的な話にからめると、いろんな形、いろんな概念でのアセンションの話でもあるなと思いました。アセンションってなにをもってアセンションとするかは人や場合によって定義が違うんです。

ゲンドウが目指した世界についても、現時点では現実には出来ない、非現実的な世界だけれど、現実に理想を上書きするという、全く新しい法則で動く宇宙を新しく創造する事によって、世界そのものを妻・ユイと自分が共にある世界へと作り替えるという、これもひとつのアセンションの形だなと。実際に同じように新しい宇宙創造とアセンションを目指しておられる方を存じておりますが(エヴァ作ろうとしてるとか人類補完計画やろうとしてるとかって話じゃないよ)あの方ならば必ず叶えると私は思っておりますし、心より応援しております。

見ている人によって見える姿が違うというのはまさにこの世の事でもあるなと思います。1つしか世界はないはずなのにみんなそれぞれ何が見えているのか全然違ったりする。見に行く直前に知り合いから入ったLINEの内容がまさにそんな感じで、戸惑いつつもちょっとシンクロを感じたり。

本編を見ただけでは細かい所の謎がわからないままなのはいつもの事ですが、よかったです。上映時間が3時間近いという事でお手洗いの心配ばっかりしてたんですが、塩味のポップコーンを食べながら飲み物をちびちびいくと良いという噂を聞いて実行してみたら本当に全然余裕でした。かわりにずっと口がもぐもぐしてました。腰のほうがよっぽどつらかったです・笑。

クー○ッシュのエヴァコラボパッケージを見ましたが、来週で上映終了予定だそうなのでネタバレはともかくとして、映画見た後だとゲンドウのは飲むのにちょっと勇気が要りますね…笑。

正体不明になっていく

最近というか、前々から時々、西洋占星術の入門書を読みながら自分のネイタルチャートを読み直すという事をしています。

 

ネイタルチャートというのは、生まれた時の星の配置を見る事で、その人の性格とか場面場面において取りがちな行動や、なりがちな事を見るものです。

 

 

 

うん、ようわからんな!笑

 

 

って毎回なるのに、良さそうな入門書が発売されるとその度に今度こそー!って言いながら本を片手にやります。こりない。

 

人間、自分の事が一番わからないからなのか、定期的に知りたくなっちゃうんですよね。私だけかもですが。

 

 

私が西洋占星術や占いの勉強をしていた時期は、スピリチュアルの勉強を始めた頃よりもさらに前になるんですが、卜占(タロットカードなどの事)はともかく、命占(西洋占星術四柱推命などの事)は何度勉強してもさっっっっっっぱりでして。

 

私の場合、記憶力の問題も大きいんですけどね(´_ゝ`)

おぼえられぬ…。

 

挫折する事何度目か、という感じです。

 

でもこの世界に入ってから『ハッ……(๏д๏) ここのアスペクト(星と星がどういう角度を取っているか)ってこういう事かー!』と言語化できない部分で急に理解して頭を抱えた事も1度や2度じゃないです。

ちゃんと言語化したいんだけどなんか上手く言葉が出て来ないんですよね…。これが出来たら占星術ももっとわかるようになりそうなんだけどなあ。

 

 

 

 

世間一般の方から見ると、占いもスピリチュアルも一緒じゃないの?という感じだと思うんですよ。

 

でも両方を経験すると、同じ大きな袋の中に入っているジャンルではあるかもしれないけど、方向性としては真逆だなと思います。

 

 

 

例えば『貴方はこういう人間です』という事を見ていく事をまずスタート地点としたとしても、占いとスピリチュアルではそこからが真逆の方向に向かっていくなあと思います。

 

占いの観点でのアドバイスだと『あなたはこういう人間なので、それを踏まえてこういうふうに動いていく事で、トラブルや苦しみの発生を出来るだけ回避して楽に生きられるようにしましょう』という感じ。

 

自分自身のコントロール方法を見出す手法のひとつという言い方も出来るかなと思います。

 

 

スピリチュアルだと『あなたはこういう設定の人間なので、その設定自体を外す事で、楽に生きられるようにしましょう』という感じなので、最終的には自分自身のコントロールすら手放すための手法とも言えるかなと。

 

こんな風に真逆なんですよね。

 

ただ、占いの例のように、人によっては自分をコントロールしていく事や、そこで何かしらの納得を得る事が変容に向かうためのプロセスとして必要な場合もありますし、その結果、解放や変容が起きてそのコントロールを最終的に手放す事になる場合もあるので、どちらの手法を採っても最終的に同じ結果になる場合ももちろんあります。

どちらがいいかは人によるとしか言えません。どちらの手法がいいとか悪いとかではなく、どちらの手法も素晴らしいものだと思います。

 

 

スピリチュアルの世界において『設定』という考え方はわりと大事です。

 

例えばAさんという人がいて、Aさんが○○という設定を持っていたとしても、それはあくまで『Aさんは○○という設定を持っている』だけであって、『○○という設定を持っている状態である事がAさんそのものではない』のです。

 

数式っぽく書くと、設定を持っている状態は

 

今のAさん=Aさんの本質+○○である事

 

という感じですね。

決して『Aさんの本質=○○である事』ではない。

 

 

 

 

でもしばしば、Aさん本人ですら『自分の本質=○○である事』と思い込みがちです。

 

 

そしてそれは私自身も例外ではなく…。

 

 

スピリチュアル、うちで言えばLOVINGやヒーリングやリーディングに相当しますが、これをやっていく事によって設定が外れるとどうなるかっていうと、

 

 

 

今まで○○である事が自分の本質だと思ってたけど……

 

あれがただの設定だったとしたら、その設定が外れた今の私の本質って…

 

結局なんなの…?!(;'∀')

 

 

 

『ここはどこ、私は誰』ばりに、正体不明になります・笑。

 

 

 

最近本当にこれが顕著でね~~~~~~~~~~。

自分のネイタルチャートを見ても前は『わかるわかる、私そういう所ある』って感じで納得出来ていた部分が、『確かに昔はそういう所もあったけど、それ何年前の話?』とか『それ誰の事…?』レベルでピンとこなくなってきてる事が結構あります。

 

 

 

別にそれは『占いなんて当たらないじゃん!』とか、コールドリーディングして当たってると錯覚してたとかって話ではなくて、単純に私自身が生まれながらに自分に付与していた設定を越えて来た証なんだと思います。

 

(コールドリーディングとは、比較的誰にでも当てはまったり、どちらとも取れるような言い方をしたり、普通の会話の端々にちりばめられた細かなニュアンスなどから推察しただけの事を、まるで言い当てたかのように話し、私の事をわかってくれた!という錯覚を起こさせて相手の信頼を得る話術や手法の事)

 

(ちなみにホットリーディングはやってる事は同じですが、その場や相手の言葉のニュアンスから察したりするのではなくて、事前に相手の事を調べておくことを指します。最近はみんなSNSやってるからホットリーディングって昔より簡単だったりするのではないかなあと思ったりします。『雨が降って来た』のひとことを何の気なしに呟くだけでも、その日のその時間にどこにいたかがわかる人にはわかるんでね…)

 

 

 

こういった事に取り組む事で、自分の正体不明感に驚く事もありますが、『私=』が確定しない状態を、進化の過程として楽しんでいこうと思っています。

 

 

魂は最初から完全な存在なので、進化はありません。

でもスピリットの進化は無限なのです。

そのスピリットが進化したいと思う限り、進化に終わりはないのです。

 

 

 

最近このお仕事で、自分の目の前で大きく変わっていかれる方を目にする機会に何度も恵まれております。

 

ほんとね、そういうお姿を拝見させてもらうと、もう美しさと素晴らしさとありがたさで感動の涙が止まらなくなります。このお仕事をさせて頂いていてよかった!と心から思います。

 

 

人は変われる。

ヒーリングやLOVINGのおかげだと仰って下さるけれど、そうじゃない。

ご自身が『変わりたい』と心から願って下さったから変われたんです。

 

私達ヒーラーは、変容のお手伝いをする仕事をさせて頂いています。

でも、それはあくまでお手伝いなんです。

ヒーリングやリーディングはあくまでツールにすぎないし、私達ヒーラーですら、変容をお手伝いするツールの1つでしかないのです。

 

つまり、そのツールを使うという自分の意思がないと動かないという事です。

ハサミや鉛筆が勝手に動き出したら怖いし、なにより困る。それと同じ事です。

 

受けて下さるご本人様が『変わりたい!』と心から願ってコミットして下さらないと、私達がいくらエネルギーを送っても、受け取れないのです。

 

 

 

どんどん変容して、どんどん正体不明になっていきましょう・笑

 

私自身も含め、色んな方が、先々どんな風になっていくのかが最近本当に楽しみです。

LOVING ペルソナ解放ワーク

LOVINGペルソナ解放ワークのご紹介です。

 

 

ペルソナという言葉自体は結構有名かと思います。

ペルソナだけで検索をするとゲームとか映画とかいろんなのが出てくるので結局どれだ、みたいな感じになってますが、心理学的には『対外的自己』、簡単に言うと『他者に対して見せる自分』の事です。

 

ちなみに私はゲームのペルソナ4が好きです。5はまだ中盤手前くらいですが、他のゲームもやりながらちまちま進めてます。とか言いつつ今はゼルダBOWやっててニーアレプリカントとアンルミも積んでいる…!(;'∀')

 

 

 

昨今の世の中のエネルギー的な流れでは、本心やその人の本質から離れた所から発された事はすぐに相手に伝わってしまう傾向が強く出るようになってきています。

 

また、気持ちや態度や言動を偽ったり、取り繕ったりしていると、何故かそれが相手になんとなく伝わってしまったり、何かの拍子に暴露されてしまったりして、嘘がつけなくなって来ているんですよね。

 

 

 

 

『偽りの自分である事が全て相手にばれる時代がもうすぐ来るよ。ありのままの自分で生きられるよう、今から自分の内面の問題をしっかりとクリアにしておきましょう』と何年か前からスピリチュアル界隈では言われていた事ですが、いよいよ、という感じです。

 

 

 

とはいえ。

 

そこまであからさまなものでなくとも、本心とは違う態度や言動をしてしまう事ってわりとよくある事ですよね。

 

100パーセントが嘘とかじゃないし、本心が1ミリも混じってないわけではないけど、全体の何パーセントかには本音じゃない部分があるとか、そんな程度だったら常日頃から誰にでもある事だと思います。

 

 

例えば、本当は全く気が進まなかったのに人からのお願いごとを断れず、良い顔をして引き受けて後で後悔するとか。

 

本当はめっちゃムカついててめっちゃ気にしてるのに、そんなの全く気にしてませんよハハハ!みたいな態度をつい取ってしまって、怒るタイミングを失ったまま結局その気持ちがずうっと長い間心の奥底でくすぶったり。私も昔はよくありましたね…それで家に帰ってからひとりで泣くっていう

 

パートナーシップなんかでも、本当はすごく相手に甘えたいのに、ついつい強がった態度を取ってしまったり、嫌われたくないという気持ちから本当はしたくないのについ世話を焼いてしまったりして、『貴方は強いからひとりで生きていけるよね』とか『恋人というよりも親みたい…』なんて言われてしまったり。

 

 

今ご自身が生きている世界に対しても、実はペルソナは大きな影響を及ぼしています。

 

例えば、本当は誰かに助けて貰いたくて仕方がないのに、素直に助けを求められず『私は強い!誰の助けも必要ない!』というペルソナをかぶった状態でいると、世界はその人の世界を、現実を、その通りのものにしようとしてしまうのです。

 

『誰の助けも得られない世界』をその人の目の前に持って来る事で、『強くて誰の助けも必要ない人間である』という事を、結果として証明するような環境にされちゃう訳です。

 

『世界が〇〇だから、その結果として自分はこうなった』のではなくて、『今の自分にとって世界は〇〇だから、〇〇と実際の世界をイコールにするために、世界のほうが〇〇になる』のです。因果関係が逆なんですね…。

 

ややこしいね~~~~~~しんどいね~~~~~~~~。

でもエネルギーの世界ってこうなんだよ~~~~~~~~~(;'∀')

 

 

 

私の実感ですが、社長を継いだころは本当にそんな感じでした。

 

私の事なんか誰も助けてくれない。私は孤独だと思っていました。

実際なんでもひとりでこなして来ましたし、誰にも頼らず全てをひとりでこなさざるを得なかったし、あらゆる全ての責任を自分一人が背負わなくちゃいけなかった。

 

私にとっての当時の世界は、全部ひとりで乗り越えなくちゃいけないものでした。

 

自分の手に負えない事が起きたら、もう死んで詫びるしかない。高額の生命保険を自分にかけておいて、やばくなったらそのへんのビルの屋上とかから飛び降りようと思ってました。

 

でもこの世界に飛び込んだ事で、私の中にあった世界というものの在り方が全く変わりました。

 

一人では出来ない事も、教え導いてくれる人や助けてくれる人が現れる。

実際に何かをしてくれたわけではなくても、私の気持ちを慮ってくれる人が現れる。

一緒にいい方向に向かおうと動いてくれる人が現れる。

 

私にとって世界はそうなりました。

だからこそ、自分にとっての世界の在り方は自分が決めていると実感しています。

 

 

 

 

 

 

しかし、ペルソナ自体はその方が無事にこの世を生き抜いていく上で必要だった、つまり処世術でもあります。

 

他者から見れば大した事がないような事でも、そのペルソナがあったからこそ少なからずいろんな事を乗り切って来れたんですよね。

 

それは忘れてはならない事ですし、そうならざるを得なかった経緯や背景、つらさ、苦しみなども当然それぞれにあります。

 

誰だって自分を偽るなんて事、したいわけがないと思います。

 

本心ではなかったり、とっさの事だったとはいえ、それによって結果的にご自身が傷ついたり、しなくていい苦労をした事や余計に藪蛇になってしまった事だってあったでしょうし、その苦しみすらも笑顔の下に隠して来た方も多いと思います。

 

 

それをやめたくて色んなワークをして、だいぶと変われたはずなのに、どうしてか同じ事をしてしまう。そんな方もいらっしゃるでしょう。

 

 色んなものを解放していったあと、そこに残ったペルソナが今までと同じような行動を取らせてしまっている場合があるのです。

 

 

 

また、過去の自分が受け入れていた事も、今の自分では到底受け入れがたい、でも過去では受け入れていたという事実があるがために、今更拒否出来ないという気持ちがあってなかなかやめられない場合もあります。

 

人には自分の言動に一貫性を持とうとする傾向があり、この心理を利用した『フット イン ザ ドア』というセールス手法があります。

 

まずは小さな要求から順番に相手に同意させていき、次第に要求を大きくしていくというやり方ですが、言われる側に『今までイエスって言ってたのに、今更ノーとは言いにくい…』という気持ちを想起させる事で、最終的に大きな要求に対してイエスを引き出すわけです。

 

でも、そういう心理がつい働いてしまって断れないってだけで、実際は別に罪でもなんでもないですよね。

 

『ここまではいいけど、ここからはだめだよ』という意思は尊重されるべきだし、人は常に変わっていける生き物だから、1秒前と同じ行動や考え方をしなくちゃならない理由なんて本来ないはずなのに『私は言動が一貫している』という状態を維持しようとしてしまうがために、なかなかそれが主張出来ない。

 

いろんなものを手放して、身軽になって、より本質の自分で生きられるようになっても、ペルソナが残っている事によって過去の自分に言動が引っ張られる現象は、この心理に似ているなと思います。

 

 

 ペルソナは損得勘定などと同じで生存戦略の一種でもあります。だから通常ではなかなかはがしきれません。

 

ペルソナ解放ワークを施術すると、不思議なくらいそれがスルッと剥がせるようになります。

 

 

詳細は以下からどうぞ

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無条件の愛を発するという事

先日までフリーダムディスティニー社主催のアセンション覚醒プログラムを受講していました。

 

毎回の講習でもいつも思いますが本当に内容が濃いよ…。

アセンションとは書いてあるけど予想通りというかやっぱりというか、アセンションの事だけじゃなかったので…笑

 

霊界のシステムの話とか輪廻転生のシステムの話とか、超おもしろかったです。

 

最初は『アセンションって今の私にはあんまりピンと来ないからまだ関係ないかも~』とか思ってたんですが、知識として知るだけでなく自覚として識るも含め、本当にありとあらゆるものが詰め込まれた、大変有意義なプログラムでした。

 

 

 

そのプログラムの最後に、『自分はいったい何者なのか、何者になろうとしているのか』という事を宇宙に向かって宣言する時間があり、その前準備として、自分から見た自分とはいったいどういったものなのかを書き出しました。

 

 

 

その上で宣言した『私は何者である』はこんな感じでした。

 

 

 

私は、純粋無垢であり、無条件の愛を体現する存在である。

 

私は、探求し、学び、知る喜びを体現する存在である。

 

私は、無条件の愛によって、私にしか発見出来ない可能性を見出し、それぞれにとっての北極星を指し示す道しるべである。

 

私は、それぞれが向かう先、たどり着いた先、それぞれが生み出したもの、答えにたどり着いた事を心から喜び、新たなステージに向かう事を祝福する存在である。

 

 

 

今出来ているかどうかは正直自分ではわからない所はありますし、先々変わっていく事もあると思いますが、それでも『今の私はこういう存在だ』『こういう存在でありたい』と宣言してしまう事で、私という存在はこういうものだという事が宇宙の中で確定するという感じですね。

 

純粋無垢の辺りは私の中ではまだ少し照れがあるんですけどね~ (*'∀')

 

 

 

そしたら今朝、親族からメールが来ました。

 

その親族は今まで生きて来た中で3・4回くらいしか会った事がない人で、顔も正直あまり覚えてないくらいの人です。

 

でも会う度に家族や他の親族の誰かしらが嫌な思いや腹立たしい思いをさせられていて、誰から聞いても嫌な話しか聞かないし、会った回数は少ないのに関わると必ずと言って良いほどその人やその周囲にある潜在的なものも含めた様々な火種を次々発火させていくので、正直に言って良い印象は皆無なのですよね…(;'∀')

ある意味、問題のあぶり出しが出来ると考えればあれなんですけど、本当にこれでもかってくらいドッカンドッカン徹底的にやられる。

 

メールの内容などは詳しくは書けませんが、休日の朝一番にこれか…と、最初は怒りや苛立ちもありました。

 

でもどう返信するか、そもそも返信するべきなのかを考えているうちに『これは宇宙からの問いかけだな』と思いました。

 

 

『お前の言う、無条件の愛を今ここで見せてみろ』と。

 

 

 

 

 

アセンション覚醒プログラムの中で、あや先生が私におっしゃった事があります。

 

 

『無条件の愛がないと、人の道しるべになる事は出来ません』

 

 

今日のその人と昨日のその人は違う人だととらえる事。

毎日どころか毎瞬新たなその人を見つけていく事。

その人の中の可能性を見い出す事。

その人の美しさを発見する事。

その人の事を新たに知れたという喜びを心から感じる事。

 

 

これらは無条件の愛がないと正しく現す事が出来ません。

 

 

確かにそうだと思いました。

 

『貴方にはこういう可能性がありますよ』と言うにしても、それが愛から少しでも外れたところ、私の中にあるエゴやジャッジから発せられるものであったとしたら、それはとても危険な言葉になってしまう可能性がある。

  

 

可能性を指し示したとしても結局はそれを選ぶかどうか決めるのは本人だから、言った方に責任はないという考え方もあるかもしれません。もちろんそれは自己責任でもあるでしょう。私に他者の人生や行く先を決める権限はありません。

 

でも、その言葉で相手の行く先をゆがめてしまう事もゼロではない。

 

自分自身が無条件の愛をもって、ただその人を愛する事が出来るかどうか、愛から言葉を発する事が出来るかどうかで、同じ言葉を使っていても全く方向性が変わってくる。

 

 

しかしながら、無条件の愛をもって相手と関わる事と、自分の責任範疇を超えてまで相手に尽くす事は全く違う事です。

 

自己責任という言葉の意味は『全て自分が責任を負う事』ではありますが、それは『自分が負うべき責任を100%負う事』であり、逆に言えば『他者が負うべき責任は絶対に一ミリたりとも負わない事』です。

 

自己責任を負うというのは、自分の手で自分の欲しい現実を創り出していく、自分の人生を、他者を含めたその他の存在に1ミリたりとも明け渡さない、という決意でもあります。

 

人は自分ひとり分の責任しか負う事が出来ません。それ以上を負う事、逆に負うべきを負わない事は、他者を含めたその他の存在からの自分の人生への干渉を許してしまう事でもあります。つまり自分自身が望む人生における現実創造に狂いが生じる事に繋がっていきます。

 

他人の手を煩わせたりしない事は、自己責任を負う事とはイコールではありません。他者を一切頼らない事と自立がイコールではないのと同じです。出来ない事を無理矢理自分だけでやろうとしたって良い結果にはならないしね。

 

自分の責任範疇を外れてまで行なう事は、自分自身の中心から外れていく事でもあります。自分自身の中心から発していない愛は無条件の愛とは言えないでしょう。

 

無条件の愛と言っても、なんでもかんでも『いいよ!私が全部やってあげる!』という事では当然ありません。愛をただ与えるにしたって愛にはいろんな形がある。

 

ある意味では自分でなにもかも全て抱えてしまったほうが楽な事もあるんですけどね。でも楽なのはほとんどの場合、表面的な事だけです。

 

表面的な問題は解決するかもしれません。でも根本の解決をしていない場合、今は楽でもいずれエスカレートして楽より苦の方が大きくなっていきます。苦が大きくなるという事はやっぱりそれは愛から純粋に発したものではないわけです。

 

相手に対して誠実である事、愛から発した言動をする事は相手がだれであろうと変わらないけれど、自分や相手の状況などによって、実際に現実として自分が出来る事やすべき事は当然変わって来ます。でも根本の態度は全員に対して決して変わらない。

 

 

 

 

その上で、この親族に私が出来る事はなんなのか。

逆に、出来ない事やするべきでない事はなんなのか。

 

 

自分の一側面としての他者。

今自分の目の前にいる人は、自分が持っているものと同じ一面を持った他者である。

 

その親族は、私がその人と同じ一面を持っているから、今私の前に存在している。

逆に、私と共通する部分が全くなければ、その人は私の前には現れない。

ならばその親族を私の前に存在させているのは、私自身であるという事。

 

目の前に選択肢を現わしてあげる事。

その上で『私に出来る事はここまで』と手を離し、選択を完全に相手に委ねる事。

相手の選択を尊重し、ただ受け止める事。

 

 

親族からのメールで、様々な事を実地で勉強させてもらったり、数年前の自分からの成長や変化を感じられたように思いました。

 

LOVINGクラウンライズ2021

LOVING クラウンライズ2021のご紹介です。

 

 

競争意識や損得勘定で物事を選択していく事に疲れた人におすすめのLOVINGです。

 

 

競争意識や損得勘定って元々は生きるための生存戦略によってしみついたものです。

 

人間というのは魂とスピリットと肉体の3つが揃う事で成り立つものですが、魂とスピリットはそれぞれ何百回、何千回と輪廻転生を繰り返しています。

 

その輪廻転生の中でかつての時代を生き残るためには『いかに他の存在より得をするか』『いかに他の存在より優位に立つか』が生死にかかわる事も少なくありませんでした。

 

 

お腹を満たして子孫を残すという、言葉にすればたったこれだけの事を成し遂げるにおいて、競争意識や損得勘定の重要性は非常に大きかったわけです。

 

けれども今の時代の人間だと、全くないとは言いませんが、それらがなかったからと言って死に直結するような事はまずありません。

 

むしろ損得勘定や競争意識を起点にして物事を判断して行動していくと、逆にびっみょ~~~~~~~~~~に損をする事も多いんですよね。疲れるし。

 

でもそれらの生存戦略は人間となって生きている今でもスピリットの部分にしっかりこびりついてしまっています。

 

 

それらを手放せたら、より自分自身の中心からの意思で物事を選択できるようになります。

 

 

個人的な所感ですが、ソシャゲのガチャとかにお金つぎ込みまくってる人にも良いんじゃないかなあと…。

 

もちろん心から楽しんでいて課金してる分にはまったく問題ないのですが、もうそこまで楽しいと思ってないのに、今やめてしまうと今までそれにかけた時間やお金が無駄になってしまう!みたいな感覚があって、辞められないままズルズル時間とお金を浪費してしまっている方にもいいのではないかなと思います。

 

ちなみに私は課金額が減りました。

言うて元々そんなに多額につぎ込んではいませんでしたが、決めてた予算内で手に入らなかった時に『このキャラを持ってるかそうでないかでその後のプレイが全然変わるって言うし…!』とか『ここまで課金したのに今辞めたら収穫ゼロじゃん!!』という感じで課金する事もあったのがほぼなくなりました・笑。

 

 

ちなみにですが、損得勘定から物事を選択する事が完全にクセになってしまっている人のエネルギーを視ると、スーパーマ○オブラザーズに出てくるちくわブ○ックの上に乗ってるみたいな感じです。

 

乗ってしばらくするとブルブル震えて、そのまま乗ってるとブロックごと下に落下していくやつ。

 

損得勘定で物事を選ぶという事は、自分の中から望んだ事じゃないので、自分がない状態で足場がグラグラなんですね…。

 

そのグラグラの足場から落ちないように必死で気を張ってるからめちゃくちゃ疲れるんだな、というのもわかりました。

 

現実としては常に自分が損をしないかどうか、得になる情報はないかをキョロキョロ見回してそれらを探している状態なので、それが疲れる…という感じでよく出てくるかなと思います。

 

そういうの疲れちゃったよ…という方に大変おすすめです。

 

 

詳細は以下からどうぞ。

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LOVING シンデレラアニバーサリー

LOVING シンデレラアニバーサリーのご紹介です。

 

 

 

 

『普通の幸せが欲しいだけなのに、なんで幸せになれないんだろう?』

 

 

ね。ほんとね…(´_ゝ`)

幸せってなんでこんな難しいんでしょうね。

普通ってそもそもなんだ、とかまで言い始めたらキリがないんであれですが。

 

 

 

どんな人であれ共通の願いはやはり幸せになる事だと思います。

でも『幸せ』と一言で言っても人それぞれ今いるステージは違う。

 

幸せに向かって歩いていたはずなのに、気が付けば程遠い所にいる事に気が付いて絶望を抱いてしまったり、

これが自分の幸せだと思っていたものが最近なんだか合わなくなって来てしまったり、

今以上の幸せを求めるなんて贅沢なんじゃない?と遠慮してしまっていたり、

そもそも私の幸せって何?という所で躓いてしまっていたり

私には幸せになる資格なんてない…と思い込んでしまっている状態だったり

幸せの後には不幸が来るのだから少しの幸せで満足しておくのが良いと思い込んでいる状態だったり、

私が欲しい幸せは一般的なものではないから求めてはいけないと思っていたり。

 

本当にいろいろです。

 

色々ですが、殆どのケースはただの思い込みであったり、罪悪感や自責が大きい方だったり、幸せになる許可が自分に対して出せていない事が関係しているケースも非常に多いです。

 

 

 

思考が現実を作ります。

幸せのあとには必ず不幸が来る!と思い込んでいたら本当に不幸が来ます。

エネルギーの世界では、現実が先ではないんですよね。思考が先。それが事象として起きる。

 

でもこの思考って、無意識の部分に大きく支配されている部分でもあるので、その思い込みを捨てようとしてもなかなか捨てきれなかったりします。

 

 

LOVINGシンデレラアニバーサリーはご自身の幸せに対してどんな段階にいたとしても、すべての段階に対して『ええんやで!!!』と力強く許可を出していくワークです。

 

 

 

文章にするとこれだけ、って感じなんですが、幸せって本当にみんなが持ってる大テーマだと思います。

 

 

伝授を受けた時、私は伝授への抵抗がすごくてですね…。

 

他の講習なんかは結構飄々と受けてたのに(私と一緒に講習を受けた事がある方はおわかりかもしれませんが、大体いつも何がそんなおもろいねんてくらいゲラゲラ笑いながらコメントしてるのに)、これはもう、どうした?!っていうくらい最初の抵抗がすごくて講習中ちょっとしんどいくらい眠かったです。

 

エネルギー的に自分が抵抗をしている時って眠くなる事も多いんですよ…。気持ちは真剣に話を聞こうとしているのに、体が言う事を聞かなくて机に突っ伏しそうになるのを何度引き戻した事か。

 

もちろん最後は伝授を完了して、きちんと使えている事まで確認して頂きましたので施術には一切問題はありませんが、でもまじできつかった(;'∀')

ちゃんと受け入れられた後は不思議と眠気が覚めてるからこれもまた不思議です。

 

 

私、こう言ってはなんですが、それはそれは色んな事をやってきましたし、それに対してそれなりにお金もかけてきました。

 

そのおかげで今があって、今はめちゃくちゃ生きるのが楽になってるけれど、それでもこの『自分の幸せ』に真剣に向き合うとなると本当にきつかったのです。

 

幸せになりたいって言いながら、幸せになる事に内心抵抗を持ってるってねえ。どういう事なん…て感じです。ほんと。でもそういう人ってわりと多い。

 

ご自身の幸せと真剣に向き合いたい方、幸せに向かって力強く進んでいきたい方に大変おすすめです。

(施術者になるための伝授が私にとっては色々あっただけで、お客様が施術を受けられる場合は特に何かきつい思いをするとか眠くなるとかはありませんのでご安心下さい)

 

 

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次回記事ではクラウンライズ2021をご案内します。

LOVINGフリーダムインナーチャイルド

今回はフリーダムインナーチャイルドのご紹介です。

 

 

 

フリーダムインナーチャイルドは、ほぼ名前の通りです。

 

こういったスピリチュアルの世界に触れていると、『インナーチャイルドが傷ついている』、『インナーチャイルドを癒しましょう』、『インナーチャイルドを愛しましょう』と言われた人も多いのではないでしょうか。

 

おそらくスピ慣れしてる人は最低でも1回は言われていたり、ご自身で取り組もうとされた事があるのではないかと思います。

 

 

 

インナーチャイルドの傷は両親との関係性やパートナーシップの問題など、人間関係の中での体験から抱える事が多いので、元々の性格とはまた違います。

 

インナーチャイルドに傷があると問題行動を起こしやすくなります。

問題行動は一例として、依存、共依存、見捨てられ恐怖、孤立、人間不信、反抗、他者をコントロールしようとする、などです。

 

突発的な所から来るので制御できない事が多く、気がついた時にはすでにやってしまった後だった、なんて事もよくある事です。

 

 

では癒すとして、現実として具体的にどうしたらいいの?と聞くと、大概『自分を徹底的に甘やかす』とか『子供の頃にやりたかった事を徹底的に満足するまでやってみる』とか、ワークをやってみるとか、そんな感じの回答が返って来る事が多いと思います。

 

それが一応、現実として個人が取れる範囲での一般的な対処法と言われていたので、私もかつて言いましたし、言われましたね。

 

 実際やってみると確かに癒しになる部分もあるのですが、やればやるほど際限がなくなったり、一時はおさまっても時間が経つとまた傷が疼く…。

 

で、結局また癒しの作業に逆戻りでいつまで経っても終わらない、という事も実は多いです。

  

 

最初は『傷を癒すために自分を甘やかす』って所がスタートだったのに、いつの間にかインナーチャイルドが『なるほど、傷を疼かせれば甘やかして貰えるんだな』と学習してしまい、『自分を甘やかして貰うために傷を疼かせる』という暴走状態になり、傷はいつまで経っても癒えない、という事が起こります。

 

かと言って『甘やかさない!自分に厳しく!!』とやると、これはこれでさらに悪化する事になります。また自分を律する事が過剰になっていくと、自分をコントロール出来ない事に対して罪悪感や自責が出てしまう事もあります。

 

インナーチャイルドの傷はロウアーセルフについてしまうものなので、インナーチャイルドの傷による暴走を起こす度に、行動や言動などがロウアーに引っ張られてしまう事になります。

 

ロウアーセルフは低次の自己の事です。

自分自身を構成する要素の中で波動が低くなっているところ、という言い方もしますが、ロウアーセルフに引っ張られてしまっている状態というのをわかりやすく言うと、ご自身のネガティブな感情や欠乏感、孤独感、自責、罪悪感などに振り回されている状態で、視野が狭くなりがちで、自分自身や周囲を冷静に俯瞰して見られない……という感じですね。

 

 

悪化させない、暴走させないためには、インナーチャイルドを愛しつつ、でも傷が欲しがるものを際限なく与えるでもなく、ただ受け止めていくという事が必要になっていきます。

 

LOVINGフリーダムインナーチャイルドは、愛と甘やかしは違うものだと頭ではわかっていても難しい所を越えて、ただインナーチャイルドを受け止め、ただ愛し、インナーチャイルドが本来持つ創造性を取り戻し、ロウアーセルフの覚醒を促し、ハイヤーセルフに意識を近づける事を助けるワークです。

 

詳細は以下ページにてご案内しております。

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次回記事ではシンデレラアニバーサリー2021のご案内をいたしますね。