ロイヤルブルー・スピカ

スピカへ向かう箱舟

自己否定の塊だった頃の私、そしてマリドル

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先日の記事でもお伝え致しましたが、PARAMITAヒーリングスクール CEOの廣光恵先生が、Amazon Kindle電子書籍を出されました。

 

強気決断50M~マリアとイルカのヒーリング~

ツインソウルに出逢ったら 「金持ち父さん」あらわる

 

さらっと読めますが、感動もあってとても素敵な書籍です。スピリチュアル世界にご興味がある方、ツインソウルにご興味がある方、ヒーリングにご興味がある方、ぜひお買い求め下さい。

 

この書籍の中で、私自身がマリア&ドルフィンタッチヒーリングを受講した経緯やその後の事をほんの少しだけ書かせて頂いておりますので、ぜひお読みいただければと思います。巻末のマリドル講師リストにも名を連ねさせて頂いております。

 

 

さてさて。

恵先生のマリドル本にも少ーしだけ書かせて頂いた、過去の私の話など、今日は軽く書いてみましょうかね。

 

軽くね。軽く。

 

……軽くで済むかな?(;'∀')エヘ

いや無理だな。多分長いと思う。

 

とはいえ、しちめんどくさい話ばっかりで、そんなにドラマチックな事は特にないんだけど。

 

 

 

さいころからずっと、私にはなんにも人に誇れる事なんかないし、成績だってそんなによくない、運動能力も普通、容姿だって特に目立ったところもない、何か人より優れた才能があるかと言われるとなんにもない。そんな普通の人間でした。今でも能力的にはそうだと思います。

 

今でこそ社長なんてやってますけどね。でも社員さんいなきゃ全く会社まわらないから、結局のところ私が社長をやれているのは社員さん達のおかげでしかないんですよ。謙遜でもなんでもなく本当に。

 

 

 

自分以外の他者については私以外は全員、可愛い、絵が上手い、歌が上手い、楽器が出来る、頭が良い、運動神経がいい、友達が多い、会話が面白い、など私の目から見て何かしらの才能や人から愛される部分がありました。

 

ご本人にしたらそんな意識はなかったかもしれませんが、私からすればみーんなキラキラしてる。

 

でも私はなんにもない。なんにも出来ない。ダメな所ばかり。特別な所なんかなにひとつなくて、何をやっても中途半端。褒められる所なんてひとつもない。キラキラしてる所なんかひとっつもない。

 

 何か優れたものを持っている人だけが、自己主張とかわがままとか、自分の都合を通せる、通してもらう権利があると思ってたんですよね。逆に能力や才能がない人間にそんな権利は認められていないのだと。

 

私は認められていないから、私が自己主張したら『お前ごときが何を生意気な事を』と鼻で笑われるだけだと思っていましたし、空気を読まない言動をしたり、プラスの感情以外を表に出して空気を悪くすると、その場にいる権利すらなくなってしまうと思っていました。

 

私以外の人は全員自分の都合や気持ちを主張する権利があって、私は常にその都合を聞く側にしかなれないものだと思っていたので、自分がそんな事したら直ちに世界から排除されるとすら思ってたふしがあります。

 

他者の意見に従って動く事で嫌な思いや貧乏くじを引いたりした時なんかは『私がやりたくてやったわけじゃないのに!』と内心むくれていたりもしましたし、家に帰って一人で泣いたりなんかもしていました。

 

でもそれを表に出す事も出来なかった。

 

自分はどこにいってもピラミッドの最下層にいる人間で、最下層だからこれ以上落ちる所がない。落ちるところがないって事は、もうその先には死しかないのだと。

 

だから嫌な事を言われてもにこにこ笑って飲み込むのが自分にとって最善で、そうする事でしか私はこの世界では息をする事すら出来ず、常に『他者にとって私がとるべき正解』を選び続けなくてはいけないと思っていました。

 

 

長年の友人がこれを読んだら『じゃあ今まで無理して一緒にいたのか』って怒られそうな気もしてるのですが、でもそうじゃなくて、そうする事でしか当時の自分の居場所や生き方が見いだせなかったというだけで、それは相手のせいでは全くなくて、完全に私のせいなのです。『当時の私にとってはそういうものだった』というだけで、それ以上でもそれ以下でもないのです。この辺りはニュアンスとか諸々含めて感じ取ってくれる事を信じます。

 

 

 

こうやって書きだすとどうしてそんな極端な思考になったのか…という感じもするのですが、当時の私は本当にそう思っていたのです。

 

自分でもどうしてだったのか長年不思議に思ってる事案なんですよ。そうなった切っ掛けなんか記憶にある限り特になくて、気が付いたらそうなっていたという感じです。

 

透視し始めてからようやくなんとなく、きっとこれが原因なんだろうなと思える心当たりは見えて来たのですが、本当に『今現在生きている自分の肉体としての記憶』にはないのです。(知らない人から見たらどうしても胡散臭さを感じてしまわれる部分なんですが、スピリチュアルやってるとこういう事わりとあるんですよ……)

 

 

 

そして、他者にとっての正解を選ぶ事に慣れてくると、自分の考えというものをあんまり考えなくなってくる。だって考える必要がないからね。

 

選択を迫られた時にはまず関係者が誰なのか、関係者のだれがどういう意見を出していて、それにはどういう都合があるのか、その上で誰の都合を優先した意見を『私の意見として』出すのが一番丸く収まるのか……等々を、瞬時に判断するだけ。

 

そしたら自ずと『正解』が導き出されてくる。

 

 

 

そういう風にして生きていて、時々言われた言葉があります。

 

 

 

 

『そうじゃなくて、私は、コウがどうしたいのかを聞きたいんだよ』

 

 

 

 

私はそのたびに、自らの死を前にしたような恐怖感を覚えました。

 

だってこの頃の私にとっては『他者の意見や都合や気持ちを優先する事で、自分を死から守る事』が全てにおいての唯一の正解だったから。

 

でも相手はそれは違うという。

他者の意見や都合を優先したものではなく、私自身の意見や都合や気持ちを言えと。

 

 

 

私にとってそれはギロチンにかけられるのと同じでした。

 

相手にそんなつもりはないのは百も承知だけれど、私にしてみれば回答をひとつでも間違うと、ギロチンの刃がすぐさま自分の首に向かって降りてくるという事だったから。

 

そうして必死に探すのです。

『どうこたえるのが正解なのか』を。

 

 

 

でもそんなのいくら考えてもわかるわけないんです。

 

相手は『他人の都合等を下敷きにしない、純粋な私の気持ちや意見』を聞いているのであって、『相手にとっての正解を口に出す私』を求めているわけではない。

 

 

相手の中に答えはない。私の中にしか答えはないのです。

でも私の中には『相手が求める正解を出し続ける事』しか答えがない。

でも相手はそれは違うと言うわけです。

 

 

『答え』がなんなのかを考えないとギロチンの刃が私の首を落としに来ると、当時の私は思っているから、もう内心パニックですよ。

 

こうなると自分の答えを探して答える事ではなくて、どうやってこの場を誤魔化すかがミッションになってきて、なんやかんやと必死に言いつのって、相手が納得してない顔をしているのを承知しながら辛くも逃げる、という感じでした。

 

 

 

とはいえ、今まで100パーセント自分の都合や、気持ちを出さなかったかというと、そうではない事もあって。

 

そういう時はどうしていたかというと、『貴方のためにはこうしたほうがいいと思う』とか『こうした方が効率がいい』とか、あくまで私ではなく相手のためだという態度で、自分の思う方向に誘導するという卑怯な手段を使っていました。

 

卑怯だって事はわかってたから、やった後にその事でまた自分を責めて嫌いになるんですよね。

 

誇れる所がなにもない、その上性格すらも悪いなんて、どこまで救いようがない人間なのかと。

 

 

 

何か特別な事が出来る人間になれたら、誰かが私を愛してくれるかもしれない。

私が私の正解を選ぶことを無条件に赦してくれる誰かが、私の前に現れてくれるかもしれない。

 

 

 

だから何か特別な事が出来る人間になりたくて、何も持たない自分から脱却したくて、ずっとずっとあがいて、でもなれなくて。

 

こんな人間を一体どこのだれが愛してくれるというのかと、自分で自分を嘲笑する結果に終わってしまう事が常でした。

 

だから、私は一生『自分以外の誰かにとって正解』を選び続けるしかない人生なんだろうと長い事思っていました。

 

 

 

 

 

私は元々占いが好きであったり、オタクなのでファンタジー的な事は大好きでしたが、単にそれだけで幽霊が視えるとか何かの気配を感じ取るとか、そういう事は一切ない人間でした。

 

今でもそうなんですけどね。実は。

『目をあけてる時は視ない』というだけで、なんとなく感じるくらいはしますが、透視とかエネルギーワークしてる時以外はほぼスイッチを切った状態で生活してます。

   

 

スピリチュアルな事に関するスタンスも『あるかないかはわからないけど、自分や自分の大事な人を妙な事に巻き込まないのであれば、別にあってもいい世界』くらいのものでした。

 

その言い方自体がいい年して中二病抜け出せてない感あったね~~~(;'∀')

 

めちゃくちゃ偉そうだよね、『別にあってもいい世界』って。つまり『存在を赦してやってもいい』って事でしょ。全く意識してなかったけど、我ながらすごい事言ってたんだなあ・笑。

 

 

 

私がマリア&ドルフィンタッチヒーリングを受講したのが2015年の秋頃ですが、その1年くらい前にちょっとした好奇心と友人の勧めで霊媒師さんの所に伺い、その際に『貴方は頭で考えて動くよりも、感覚で生きた方が絶対に生きやすいよ』と言われた事が、スピリチュアルの世界に入る切っ掛けになりました。

 

 

感覚的に生きるって、具体的にはどうすんのさ?

そんな抽象的な言葉で言われても困るよ!!

中途半端に希望を見せられると余計につらいんだぞ?!?!?!

 

と、当時はむちゃくちゃ混乱しました。

 

 

あまりにわからなさ過ぎてGoogle先生に聞いたもんな。

 

【 感覚で生きる とは 】検索

 

って。

 

そんな事Googleに聞いてどうすんだって感じですが、でもねえ、馬鹿にしたものでもなかったんですよね。言葉を変えながら色々検索してたら出て来たんですよ。

 

 

つまりは直感を大事にして生きる事だ、と。

 

で、そこから順番に、

 

 

直感を大事にするってどういう事?

大事にするっつったってそんな根拠のないもん信用出来るかい…!

 

じゃあ逆に信用に足る直感を身に着けるにはどうしたらいいんだ?

瞑想?それで直感鋭くなるの?

 

瞑想の正しいやり方……。

みんな書いてる事違うし、やってみてもどれも全然頭の中からっぽになったりしないんだけどー!?

 

 

からのー。

 

 

め…瞑想状態になる事でチャネリングが可能になる……だと……?!

 

 

という情報にたどり着いてしまい。

 

中二病という名の、かつて若いころに恥と共に封印したはずの黒い眼帯とか白い包帯とかよくわからない羽とか片方の目の色が違うとかの中二病必須アイテムが、一瞬にして勝手に私の手元に戻ってきてしまったわけです。

 

イヤーコワイデスネー(;'∀')

 

オタクなんで、封印したつもりで蓋自体は鍵かかってなくて、常にちょっとした刺激で中身がチラチラしてたんですけどね。

 

 

 

その結果、マリドル受講の少し前にチャネリングは習いにいったものの、どうにも視えているものに自信が持てなくて使えず、使わないからきちんと出来ているという自信が持てない。

 

そして、ほらやっぱり私には出来ないじゃないか……!と結論付ける、という悪循環を繰り返し、せっかく習ったのに結局殆ど使わないまま時間だけが過ぎて行った日々でした。

 

ちょっと話がずれますが、この経験があるから私は受講者さんに『まずは使って下さい。使わないと自信はつきません。自信がないから使わないなんて言ってるといつまで経っても自信なんかつかないから』といつも言ってるわけです…。ほんとそうだからね…。

 

 

 

そんな時に『東京にすごい先生がいる』と友人から教えて貰ったのが、PARAMITAヒーリングスクールの廣光恵先生でした。

 

先生のブログやFacebookを拝見する事から始まり、恵先生のリーディングを受けた友人の話を聞いたり、どんどんいい方向に変わっていく様子を見たりしていくうちに次第にスピリチュアルというものに対するイメージが変わっていきました。

 

 

元々私の中でのスピリチュアルの世界のイメージは、『悪霊がついてますよ!』とか『先祖の祟りが!』とか『天使が!神様が!』みたいなものでした。

 

今でこそこの世界にいるので現実離れどころかむしろべったり現実と隣り合わせ、大いにつながってる世界だというのは骨身にしみて理解しています。(未浄化霊や先祖の祟り(というより家系のカルマ)を取り除いたり、天使や神様といった高次の存在ともコンタクト取ったりもするので全く間違ったイメージって訳でもないんですが、これらはこの世界の一部なだけで全てではないですし)

 

でも最初にお会いした霊媒師さんにしても、チャネリングの世界にしても、このころはまだ『確かにすごいし面白いんだけど、やっぱり私にとってはただそれだけのもので、私の実生活からは切り離された現実離れした世界の事にしか思えない』という印象でした。

 

霊媒師さんはともかく、チャネリングについては自分で出来るようになったにも関わらず、結局はそんな感じでした。

 

 

 

 

けど、どうやらそんなフワフワした胡散臭さしかないようなものじゃなさそうだぞ…?

 

そんなのよりももっと、今を生きている自分の人生に対して密接かつ現実に現れる現象として、かなり身近な所にあるものなのかもしれない……。

 

 

恵先生のブログなどを見たり、友人の良い方向への変貌を間近で見ながら徐々にそう思い始めたのです。

 

 

 

そんな時、マリア&ドルフィンタッチヒーリングの講習が行われるという告知を見ました。

 

 

誰にでもヒーリングが出来るようになる。

 

 

 

誰にでも出来るって事はつまり、こんな何の取り柄もない私でも、こんどこそ特別な存在になれるという事だろうか……?

 

 

そんな気持ちでの受講でした。

 

 

 

そしたら本当に出来るようになった。

スピリチュアルな技術が自分にも習得出来た。

 

 

先に習ったチャネリングだってきちんとしたスピリチュアルな技術で、今の私が思うにあの時だって十分習得は出来ていたと思います。もちろんスタートラインに立っただけの状態ではありましたので、そこからの修練は必要だったと思いますが。

 

でもどうしてかその時は『出来るようになった』と心の底からは思えず、むしろ自分の妄想を見ているだけなのではないかという疑念が湧くばかりでした。

 

 

でもマリア&ドルフィンタッチヒーリングはそうはならなかった。

 

理由はおそらく、同期として受講した人や友人など他者からの、体調が良くなった、気分が軽くなったという、明確な反応が返って来たり、顔色の変化が目に見えて分かったりして、『出来ている』という手ごたえがあったからだと思います。

 

 

チャネリングも少ない回数ながら人に披露した事もあったのですが、『へーそうなんだ、面白いねー、よくわかんないけど楽しかったよー』という感じの薄めの反応で終わってしまう事が多く、本当に自分が出来ているという自信を持つには少々弱かったのではないかと思います。

 

その人達が悪かったわけじゃなく、あれも仕方なかったなと今は思います。当時のチャネリング内容だったら今の私でもそんな反応になると思うし…。

 

間違った事をおろして来てたとかじゃなく、言われる側もこの内容とその伝え方だと『うんうん。なるほど。……で?』っていう感じになってしまうような事しかおろして来れてなかったんですよ。

  

今だったらどういう映像が見えても、現実としてその映像にどういう意味があるのかとか、何を指しているのかとか、そういう所までリーディングしてスピリチュアル慣れしてない方にも伝わるように落とし込むところまでするけれど、当時は視るのに精いっぱいでリーディングと呼べるレベルにまで到達してなかったのも大きいと思います。

 

 

簡単に言うと、『金髪で青い目の天使がいますね』で終わったのが当時の自分です。

 

今の自分が同じ事をしたとしたら多分こんな感じになると思います。

 

『金髪で青い目の天使がいますね。この天使はなぜここにいるのか理由を聞いてみると、Aという事を貴方に伝えたいようです。どういう事かと具体的に聞いてみるとBについてはAが原因なので、それを解決するためにはCをしたほうが良いとおっしゃいますね。それを踏まえて、行動しやすくするためにエネルギー的にDという処置をした方が良いとの事なので、そのようにさせて頂いてもよろしいですか?』

 

という感じで、おろしてくる情報の具体性や明晰性、情報をおろしてくるスピードと量が圧倒的に違いますし、おろしてくるだけにとどまらずそこからエネルギー的な処置にまで持っていくわけです。

 

なので、前者程度の情報しかなかったらそりゃ『へー』『なんかよくわかんないけど面白いね』で終わるわな…と。

 

 

もちろんだからといってチャネリングの先生の事をディスって恵先生を持ちあげてるとかそういう話じゃなく、その先生もスピリチュアル世界への最初の一歩として適切に、基礎の基礎を丁寧に教えて下さった素晴らしい先生です。

 

 

じゃあなんでチャネリングの先生の名前を出さないのかって?

 

私が先生に対して土下座レベルで色々申し訳なく思ってるからだよ!(;'∀')

(私のFacebookのプライベート用アカウントのほうでは今でも時々やりとりさせて頂いていますしね)

 

 

チャネリングの先生はきちんと私の様子などを見て、その都度『大丈夫、出来てますからね』と声を掛けて下さっていましたよ。

 

でも、私の方がね。

 

『本当は出来てないけど私がお客さんだから、出来てるって適当におだてて気分良く帰って貰おうとしてるだけかもしれない』

 

などと私の方に不信感ありありだったというだけです。本当に失礼な事であったと反省しています。

 

 

 

 

 

かくして、マリア&ドルフィンタッチヒーリングを習得し、私はヒーリングが出来る特別な人間にな

 

 

 

………ったという事はなく。

 

 

 

私は、特別でもない、単なる私という人間のままです。

 

 

 

いや、だってよく考えてみてよ。

 

『ヒーリングは誰にでも出来る』んだよ。マリドルに限らず、レイキだってそう。

 

それって、多くの人がやり方を知らなかったり、(スピリチュアルに偏見があるとかも含めて)それなりにお金と時間をかけてまで習得しようってほどの興味がないから多くの人がやってないってだけの話で、『ヒーリングは誰にでも出来る=出来るからって特別な存在というわけではない』って事でしょ。

 

 

 

い、言ってたーーーーー!

最初から言ってたわーーーーーー!!

『誰でも出来る』って言ってたーーーーーーーー!!!

 

 

言 っ て た わ ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!

 

 

 

 

『ヒーリングが出来たりスピリチュアル的な技術を使う事が出来れば特別な存在になれる』っていうのが、そもそもの思い間違いだって事にそこでようやく気づいたわけです。

 

 

 

でもね。それはそれとして。

 

マリドルが出来るようになった事実は、感動と共に私の中で確実に自信として根付きました。

 

 

なんにもできない私にもこんな事が出来るんだ、って。

 

 

 

そこからシータヒーリングとレイキを習いに、滋賀におられる片岡美沙先生の所に通い、生徒としてだけでなくアシスタントとしても色々と勉強させて頂きました。

 

 

 

それから色々あって会社の社長になりましたが、多分ね、スピリチュアルの世界に入ってなかったら、早々に私は根本からボッキリ折れてしまっていたと思います。

 

それぐらい、会社を父から引き継ぐことになったのは私にとっては青天の霹靂で、とてつもない重荷でした。

 

今もなんとかやれているのは、社員さん達、家族、泣き言を聞いてくれた友人、当時のパートナー、取引先の皆さん、父と交流があった人達のおかげです。

 

 

でも、正直ね、もしそれだけだったら、多分早々に会社をつぶしていたと思うのです。

 

もしマリドルを習う前の私のまま会社を継いでいたら、社員さん達や取引先の方からの信頼を損ねていたと思います。

 

 

社長って、現場の意見や取引先の方の意見に従うだけだとダメなんですよね。

 

色んな面を見ながら、悩んで悩んで最終的には自らの権限を使って決断をして、自分だけでなく他者をも動かしていかなきゃいけない。

 

決断して動き出した後であっても、動きを逐一見守って軌道修正もしていかなくちゃいけないし、時には矢面に立つ事もしなくちゃいけない。

 

自分の決断や行動だけでなく、その下にいる社員さん達の仕事の責任も負わなくちゃいけないし、社員さんとその家族の生活に対しての責任も負う訳です。

 

 

なのに人の意見ばかりハイハイ聞いて、決断の責任を取るだけの覚悟がないまま社長をしていたとしたら、おそらく社員さんからは『この社長について行ったら自分も危ないな、早めに転職して逃げとかないと』って思われたり、取引先からも『ここの製品買うの怖いな、やめておこうかな』と思われてしまうと思います。

 

何かトラブルがあった時に矢面に立つ事だって、社員さんの意見に従っただけなのにどうして私がこんな窮地に立たされなきゃいけないの…!でも私が謝らないと収拾つかないからとりあえず向こうの気が済むまで謝っとこう……、みたいな気持ちでやってたらまあバレますよ。信用ガタ落ちですよ。

 

そうなったら会社としては終わりですよね。

 

 

ある程度はっきりとした意見を持って、それをちゃんと出して、それに基づいて行動していける人でないと、おそらくやっていけない肩書だと思います。もちろんそれだけあってもやっていけないけど。

 

少なくとも、自分に自信がなくて、ほかの人にとっての正解が自分にとっての正解、っていう私のままだったら、今現在も社長でいる事は出来ていないと思います。下手するとすでにこの世にいなかった可能性すらある。

 

 

マリドルを使えるようになって得た、自分の根本としての自信は、今の自分を支える屋台骨のようなものです。

 

だから私にとってマリドルは特別なヒーリングでもあります。

 

 

前に進みたいけど怖いとか、自信がないとか、行動しなきゃと思うんだけどいろんな事情や自分の気持ちがネックで身動きが取れないとか、そういったものを抱えて八方ふさがりになってしまっている方に私がマリドルのセッションや受講をお勧めするのは、これが理由です。

 

もちろんマリドルだけじゃなく、レイキにも透視にもLOVINGにも、私はたくさん助けられてここにいるので、私が持っている技術が色々な方の助けに少しでもなりますようにと常に思いながら、その方に最適と思えるセッションや受講のご案内を差し上げております。

 

なので、もし何か受けてみたいけどどれがいいのかわからないという場合でも、気軽にご相談下さい。

 

 

長くなりましたが、マリドル受講のきっかけの話はとりあえずここまで。

 

もっと長く書こうと思えば書けるけどね!!

ここまでで1万字近い文章量になってるからこれ以上の事はまた今度!(;'∀')