さらざんまい終わっちゃったなー……(´・ω・`)
色々わけがわからないのに、とにかくなんかすごいアニメだった……笑
今月からスキルアップのため、PARAMITAとはまた違うスクールですが、短期集中の講座に参加します。多分8月ぐらいからそちら関連のヒーリングメニューが増えると思いますので、気になるものがあればぜひご用命くださいね(*´∀`*)
もちろんPARAMITAで培った技術を捨てるという訳では全くありません。
PARAMITAはあくまでスクールなので『認定』という制度はあっても、『所属』という制度や概念はそもそもありません。そこから先その肩書を使ってどう動いていくかは本人次第です。
私についてはただ単純にPARAMITAで学べる事の他にも知りたい事があって、そのための場所へ行く、というだけの事です。
私はここまでくる間にも、色んな所に勉強しに行ってはまた別の所に行って、というふうな事をわりとしてたほうなので、ブレインキャンディを味わって動いた気になりたい、周りに対してワタシ動いてますよアピールがしたいだけなんじゃないかって思った事もあります。
でも5月の壱岐島ライトワークツアーへの参加で、これはそういうものじゃないと確信を持てたのも大きいです。かつては確かにブレインキャンディのためだったものもあったと思いますが、今の私はただそれだけなんだなあと。
そして今日、ヒーラーとしての先輩でもあり長年の友人でもあるLinAちゃんが、新しいタロットのモニターをtwitterで募ってたので私もお願いしたところ、こんな感じの結果でした。(テーマは下半期の過ごし方)
わんことにゃんこだー、可愛いー(*´∀`)
愚者のカードと女教皇のカードですね。
カードそれぞれ単体のざっくりとした意味は、愚者のカードは無邪気さや枠組みにとらわれない、枠をはみ出す自由さで、女教皇のカードは教養や直感、自分の中にある絶対不可侵のもの、というところかな。(ちなみに私はタロットの場合、ウェイト版とマルセイユ版ごちゃまぜの解釈でとらえる事が多いです。ゆーても大アルカナの場合はそこまで意味が大きく違う事はないのですが)
以下LinAちゃんのリーディング。
おお……まさにこれからの下半期の事だなぁ…(*´∀`*)
彼女はカードそのものの意味をふまえつつ、でもそれにとらわれずに直感で感じた事をミックスしてわかりやすく言語化するのが上手な方だと思うので、カードだけの意味とはまた違った味のある解釈で興味深いです。
今日の23時までモニター募集してるようなので、ちょっと急な告知?になってしまいましたが、ご興味のある方はこちら↓をどうぞ(*´∀`)
https://twitter.com/LlawEraint/status/1145693224171757568
(現在は受付を終了しています)
これからやろうとしてる事により確信が持てた気がします。学びの途中だからこそゆるされる事……なんだろう。なんとなくわかる気もしますが、はっきり言語化出来るのはもう少しあとかな。言語化出来る段階になったらまたブログでネタにします。
LinAちゃんありがとう!
私はいろんな事が知りたいし、いろんな事が出来るようになりたい。それを使って幸せを生み出したい。
そんなわけで、頑張ってきます。
(ブレインキャンディとはなんぞやという話については、話の筋からずれるので後述しますね)
で。
その準備ワークとして、とあるライトワーカーさんと先日お会いしてセッションをして頂きました。
セッションの一番最初に、自分に対して何らかの影響を及ぼしているエネルギー(場所のエネルギーや他者からのエネルギーなど)だけでなく、自分自身のハイヤーセルフすらも含めた一切を自分から切り離して『肉体を持って今を生きている自分 ” だけ ” の状態』になるという体験をさせて頂きました。
人によって反応が違うらしく、一人の状態が好きな人は『すごく楽!ずっとここにいたい!』と喜ぶ方もいるそうなんですが、私はどうなったかというと。
その状態になった瞬間、泣きました。
めっちゃ怖かった。
物理的に閉じ込められたりも一切してないし、曇りの日だったとはいえお昼の時間帯で窓から入る光は明るかったし、目の前にはワーカーさんがいらっしゃる状態なので全くの一人ではないにもかかわらず、真っ暗闇の誰もいない所に閉じ込められたような気分になって、理由もないのにとてつもない不安感と恐怖感が沸き出て来ました。
そう言ったらワーカーさんが
『コウさんは、人と触れ合いたい方なんですね』
と。
え?……そうなの???(;๏д๏)
いや別にそうではないと思ってたとかではないんですけど、改めて言われると、そうか???いやでも確かにそうだな???みたいな感じで自分でも改めて気づいたというか…。
……いやほら、人間って自分の事が一番わからないとこあるじゃない?(;ˇωˇ)
ヒーラーにとっては自分と向き合う時間をそれなりに取る事がある種の義務みたいな所があるんで、他の人よりは自分を内観するという事に慣れてはいるし、スクールに通ってるとお互いにリーディングしあうので第三者からの視点も定期的に入るから(卒業したあとも卒業生同士で相互にリーディングし合ってテクニックの確認やブラッシュアップはしますしね)、気づきの機会は多いとは思うんですが、それでもやっぱりわからない事は山ほどあります。
ポジティブな内容であればあるほど逆に、自分のエゴや願望なのでは…?と思わず疑ってしまったりもしますしね。
もちろん自分のリーディングにエゴや願望が入っていないかどうか精査する事も大事ではあるんですが、自分の事となるとその加減がわからなくなってくる事もあるんですよね…笑。(お客様のリーディングに対する精査を適当にやってるって意味ではないですよ)
私は昔から他人に対してあまり深入りしない、もっと言えば期待をしないようにしている所があるせいか、わりと他者に対しては淡白なタイプに見られていますし、私自身もそう自認しています。
もう10年以上前ですが、当時お付き合いしてた男性にすら『お前、俺に興味ないやろ』と言われてびっくりした事があります(;'∀')
私としてはその男性に対しても、友人を含めて今まで交流のあった人達に対しても、興味がなかったとかではなかったんですけどね…。そもそも興味なかったら付き合ったり交流持ったりしないですし。
だからその元彼にももちろん反論はしましたが、言われてみれば確かに踏み込んだ所の話を自分から求めた事がないから、それはもしかしたら興味がないという事なのだろうか…と思ってしまい、強くは否定出来ませんでした。今にして思えば、貴方のほうこそ『私』に興味なかったじゃないか…笑 と言いたい所もありますが、まあだいぶ昔の事ですから。
相手が胸襟を自ら開いてくれる分には入っていきますし、情報として必要な時やスムーズな会話のために聞く事はあっても、そういうのとは別に、あなたの事が知りたい、教えて欲しいと自分からアプローチする事はあまりない。そういう意味では興味がないのと同じなのかもしれないなと。
そう思ってしまうと、もしかして私って、むやみに相手に踏み込まない分別があるように見せかけてるだけで、ただ単に自分にしか興味がなくて他人はどうでもいい冷血な人間なのかも、とかね、思っちゃったりなんかもしてたわけですよ。(念のため言っておきますが、ひとりが好きな人=冷血な人だとかいう意味では決してないですよ)
結局の所こわがりなだけなんですよ。
つながりたいけど、嫌われたり、意見やスタンスの違いが発覚して対立したりするのが怖くて、つながれない。そういう感じ。だけどやっぱりつながりたい。
この世界入ってずいぶんマシになりましたけどね(´∀`)フフフ
でもこうやって他人と触れ合いたい人だと言って貰えた事で、自分というものを構成するかけらを、またひとつ認める事が出来たような気がして、大変有意義で素晴らしいセッションでした。(ちなみにここまでの話はそのセッションの前準備の出来事です…笑。本題は本題でまた違う方向で凄かったよ…。それについてお話出来る分はまたいずれ)
先ほど記事中に出てきたブレインキャンディについて
(アメブロでやってた時も同じ事を書いたのでそちらをご参照頂いてもいいんですが、記事ひっぱってくるのがめんどくさい(;'∀')ので、ブラッシュアップついでに再度簡単に)
ブレインキャンディというのは、何かをどうにかしたいから勉強しにいってるはずが、いつの間にか勉強する事が目的になって、勉強した事を使って目的を果たす段階には進まずに、また別の教室に行ったり全然違う分野の勉強を始めたりして、結局何事もなさないままジプシー状態や停滞状態になって、当初の目的が行方不明になってしまっている事などを指して言います。
いつの間にか手段が目的になってしまうって事ですね。
誰かから何かを教わる事で『そういう事かー!』と理解したり気付いたりする(そういう気になる)のって楽しくて気持ちがいいし、周囲に対しても『ワタシがんばってマス!』というアピールにもなるし、頑張ってる姿を見せていると周囲も応援してくれるから、実際の問題はなにひとつ解決してなくても気分だけは良くなれてしまう…。
これの厄介なところは、勉強している間であれば『勉強という行動は一応しているから、全く動いてないわけじゃない』と周囲や自分自身に対して言い訳がきいてしまうところです。
実際やってるのは勉強だけで、勉強した事を使って行動してるわけじゃないんですけどね…。
これを続けていくと、どんどん動けなくなっていくんですよ。
動くのが怖くなるんです。その怖さと動けなさをごまかすためにさらに…っていう悪循環に陥ります。だからブレインキャンディって可愛らしいネーミングとは裏腹に結構怖い事なんです。なにもなせないまま時間とお金だけがどんどん消えていくから。
かつての私がそうだったから、この厄介さはめちゃくちゃわかる。
分かりやすく言うなら、運動しないでひたすら糖分だけ取り続けて脳内を幸せホルモンで満たして、そうするうちにどんどん太って、最終的には体が重すぎてベッドから出る事すら出来なくなる感じです。
幸せなのは脳の中だけで、現実は何も変わってないどころか時間とともに悪化していく。
人によって原因は違うとは思いますが、自己肯定感の低い人が陥りやすい気がします。かつての私がそうだったのでね。自分に自信がなさ過ぎて勉強してきた事をなにひとつ実践して使えなかったし、それを使って行動するって事が出来ませんでした。
陥ってないかどうかを簡単に判断する目安…というのも難しいんですが、これ(知識や技術や道具)さえあれば自分は幸せになれるはずなんだ!と思い込んでないかどうかがひとつかな……と思います。
もうひとつはその話題になった時に、他者や教科書などから得た知識だけでしゃべってないかどうか。
最初のうちはそれでいいんです。
だってそこからの話ですから、知らん事は普通に『知らん』『わからん』でいいんですよ。
でも勉強が一段落して実践の段階に入ってそれなりに経ってるはずの人であれば、自分自身が実際に使った上での実感や、体験から出た言葉など、教科書や他者を介した話だけではわからないものが多少なりともそこに交じって来ますが、そうでなければ誰かの言葉を借りたただの受け売りどまりになってしまう訳で。
そりゃー使った事なきゃ実感からの言葉は出ないよね。聞いてるほうには案外バレバレだったりするしね…。しかも知らんならそこで黙ってりゃいいのに無駄に知ったかぶって喋っちゃったりしてボロが出るとかね…。
道具は使わなければただの道具です。それ以上にはなりません。
道具が自分を幸せにしてくれるんじゃなく、自分が道具を使う事で自分を幸せに出来るんです。
道具は使ってなんぼですよ。
ただ、今生で知識や技術をとにかく得られるだけ得て、それを次の転生先で活かすのが宇宙的な使命って人も実際いるので、そういう場合は少々例外ですかね……。それとの区別は…うーん……先日の佐藤達三先生のメルマガにあったお言葉を借りますが、
-- 以下引用 --
「使命」という言葉を追いかけて、自分探しをしている限り、基本的に「使命」が見つかることはありません。
なぜなら、「使命」という言葉を追いかけている原動力は、「自己不足感」だからです。不足している感じを埋めたいから、追いかけるわけですね。
でも不足している感じとは、不快感ですから、不快を発して追いかけても、結局不快が還ってくるだけです。
(中略)
では、使命とはつまりなんでしょう?
簡単にいえば、「今のあなたの能力を発揮し続けること」。つまり、「今を本気で生きること」。すると、勝手に使命に導かれていきます。
(中略)
自己不足感という、個を埋めたいと思って行動すること自体は、個を手放していく過程として良いことです。その結果、個を手放した先に、結局のところあなたの能力を発揮することを望まれた場所=使命へと導かれるわけです。
すると、使命とは、「今のあなたの能力を発揮し続けること」に他ならないわけですね。
遠くを見るのも良いですが、目の前のことにも焦点を当てて、地に足をつけて、進んで行きましょう。
-- 引用ここまで --
佐藤先生は少し独特な言い回しをされる方なので、読み解くのに少しコツが要るかもしれませんが、まあつまるところやっぱり『ちゃんと行動出来てるかどうか』が使命としてやってるのか、それとも現実から逃げてるだけなのかの違いって事だと思います。
1回でも何かを人に教えるという事をやってみるとわかると思うのですが、インプットだけが勉強じゃないんですよね。アウトプットとそのフィードバックを受け取る事も勉強の一部。だから『勉強する事が使命』って方は、アウトプットもフィードバックからのインプットもセットできちんとしているよ、という話。